プロフィール01 幼少期

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fichiです。

いつから難聴なのか、判明してません。

小学校に入学する時の健康診断で、

難聴が発覚したそうです。

私は、

世界に誇る金泉、銀泉のある温泉街、

有馬温泉で産まれました。

温泉街のど真ん中にある、祖父祖母の営む薬屋が、大好きでした。

お店の奥が住居になっていて、

使い込まれた階段箪笥をあがり、二階、三階とある家。

ヤフオクに似たような階段箪笥の画像がありましたので、引っ張ってきました。

二階を走り回っていて、

間違えて、階段箪笥から飛び落ちたこともあります。

よく生きていますね、私。

どの部屋も大好きで、

どの部屋も鮮明に思い出せます。

お店の奥は、

まず炬燵のある居間となり、

階段箪笥を横目に、

ベレー帽を被った祖父が煙草を燻らせて、テレビを見ていたりしていました。

しょっちゅう、煙草のお使いを頼まれたものです。

銘柄が思い出せないのですが、赤いパッケージが印象的な煙草でした。

祖父は晩年尿結石を患い、この石が出た!痛そうやった(涙)、ヘビースモーカーのせいやと、

祖母が大切に保存していた石まで、未だに記憶にあります。

いつも、

居間には近所の人や従兄弟達が集い、

有馬温泉の湧き出る炭酸水の話をしたりして賑やかな場所でした。

居間の奥には台所があり、

シャム猫の「のんちゃん」が、

ねこまんまを食べているところを覗き込む幼い私がいました。

のんちゃんは気位高い雌猫で、

抱っこなど、させてもらえませんでした。

尻尾の長い、

とても綺麗な猫でした。

さて、

階段箪笥を上がった二階には、

有馬温泉街の往来を見下ろせる格子窓があり、

神棚が、ありました。

榊とお供えものを毎日変えていて、

神棚の前では、

のんちゃんが連れてくるノミをひとつひとつ潰す母の手元を見ている情景が思い出せます。

そして、

三階、というか、高さ的には中二階。

一階奥の台所の上あたりに位置します。

この部屋が、本当に印象的で。

祖父は、

蝶々の標本作りが趣味であり、

膨大な数の標本がありました。

そして、

泊まる部屋はこの三階でした。

布団に入ると、

母が若い時に書いた大きな仏陀横座の油絵がかけてありました。

その部屋には薬研(やげん)がありました。

この薬研が大好きで、

記憶力のないfichiの鮮明に覚えているひとつです。

祖父は薬研(やげん)で、漢方薬を作っていました。

私の幼少期の頃には、

薬屋ではなく、

資生堂の小売店になっていました。

お店には化粧品のいい香りが漂う時期でしたので、

祖父が漢方を調合するシーンが見たことがなく、映画のようなイメージでしかありません。

漢方は、

薬効を持つ薬種(草・根・木あるいは動・鉱物質)を細粉にひくのに用いる薬研で作られていたのだと、

この頃に、私の心に根付きました。

fichiは、

祖父に憧れていたのかなぁと感じています。

面白そうな生き方をしている、と幼心に気になっていたのかもしれません。

祖父祖母は、

戦時中は海外で生活していて、

バリ島でメイドさんと佇んでいる祖父祖母。

その頃の写真も凄く覚えています。

祖父は、写真が好きでした。

新しいものが大好きだったみたいで、

テレビを、有馬温泉の界隈では早くに買い、

近所の人たちが見に来ていたらしいです。

カメラも、

そういう娯楽趣味の延長だったのでしょう。


大阪の山の中、

箕面の団地で育ち、

幼稚園に通っていました。

箕面の団地には子供が多く、

年上のガキ大将率いるグループで、

毎日のように遊んでいた記憶が僅かにあります。

父はサラリーマンで、

毎日忙しく、

転勤も多く、

その日々の中で、

土日は毎週のように、両親の趣味である温泉キャンプに出かけていました。

なので、

山が身近です。

海より、山が好き。

そしてその幼稚園時代は、

ガキ大将率いるチームで毎日遊んでいました。

子供同士の間で、

私が聞こえていない、という話は出なかったのでしょうか?

集中して、

自分の中で遊ぶ子だと思われていたそうです。

小学校の検診で発覚してから、

小学校が終わったあと、難聴学級に通うという忙しい日々。

発音の特訓、

母と、沢山の専門家にお世話になりました。

お陰で、

読み取り、発音が達者になり、

傍目には難聴と分からない普通の少女時代を過ごしました。

健聴者の世界で生きていました。

数人しかいない難聴仲間は、

全員中学、もしくは高校で聾学校に入学。

カミングアウトしていなかった私は、

健聴者の中で遊ぶには、心底分かり合える友人もなく、

ちょくちょく遊びに行った聾学校では、

そこの世界が出来上がっていて、

どこにも居られない疎外感が、

ずっとずっと溜まっていきました。

今も、ふと思います。

聾の世界で生きていたら、

ものすごい楽しい時代だったのかもしれない、と。

聞こえなくても、

発音できなくても、

手話で通じ合えて、、、。

かといって、狭い世界がいいのかどうか。

それは、

どうしても、わかりません。

今、目の前に当時の私と同じような子供がいて、

健聴者の小学校か、聾学校か選ぶことになっていたら、

果たして、私はどちらを勧めるでしょうか。

居場所のない感覚が強烈にあるからこそ、前向きに、好きな人には好きだと言える強さを持てていることに誇りを持っています。

私は難聴であることを思春期のころに発信する自信が持てていたら、

友人も、出来ていたでしょう。

いまでも、

カミングアウトするときは、ドキドキします。

大したことじゃない、と言い聞かせても。

どうしたって、

私にとっては、かなり大きなことです。

聞こえないって不便です。

全てに字幕がつけばいいのに、と思います。

プロフィール02 10代から大人へ。続きます。

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fichiですねん

fichiのプロフィール

名前:fichi
年齢:42才
出身:神戸に生まれ、大阪で育つ
職業:フォトグラファー

難聴で、
2児のママ

売れっ子カメラマンゆえ、
連日の撮影に無理が祟り、
身体もココロも壊しましたんで
一度、カメラマンをお休み。

お休みしている間にカメラ転売を始めたら
いい感じに稼げるようになっちゃいました。

ココロが復活、
復活したんで
現場にも復活

カメラ転売も、現場撮影も楽しい♫・:*+.\(( °ω° ))/.:+


フォトグラファー辞めて、ブロガーで稼ぐ!と宣言してから、

稼げないから、FXやる!!と夫に10万借りて始めてから

出来なーい
稼げなーい
と、フェードアウトしちゃう。。。

すみません。。

結果オーライ、楽しく生きましょう

そんな平成無責任女fichiのブログにようこそ♫

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